ハイデルベルク滞在記

ドイツのハイデルベルクで半年間生活することになりました。生活の記録です。

42日目 -ケルン市ナチス記録センター-

今日は洗濯、簡単な掃除をした後、職場に行った。結構がっつり仕事して、なかなか捗ったので満足。休日に仕事して成果が出ると嬉しい。

 

今日は昨日のケルン観光の続きをおぼえ書き。昨日のコースは、

動植物園→大聖堂→Ludwig museum→(チョコレート博物館→)ケルン市ナチス記録センター→大聖堂

だったので、今日は順番的に、大聖堂とか美術館のことを書こうと思っていた。でもケルン市ナチス記録センター に行ってからずっともやもやしているので、先にそのことを書いておく。忘れないように。

ケルン観光でどこに行こうかトリップアドバイザーを見ていた時、ナチス記録センターの評判が良かったので行ってみようと思った。すごく馬鹿なんだけど、あまり考えもせずに。

まずは感想。思っていたよりも何十倍もヘビーだった。色々な想像や考えがぐるぐる頭を回って、あれからずっともやもやしている。

 

ケルン市ナチス記録センターは、ゲシュタポ(ナチス時代の秘密警察)の拠点だった建物にある資料館。当時のゲシュタポの牢獄がそのまま保存してある他、そこで何が行われていたのかを公開している。この牢獄には、主に反ナチス運動に関わったとされる人や、スパイ疑惑をかけられた人などが収監された。ドイツ語ではNS-Dokumentationszentrum der Stadt Köln (NSはナチスを表す)で、建物の所有者のイニシャルであるLとDをとって、別名EL-DE Hausとも呼ばれている。建物はケルン中央駅から10分ほど歩いた場所にあり、すぐそばには買い物客で賑わう通りもある。外観は本当に普通の、なんの変哲もない建物。

入場は一般で4.5ユーロ。オーディオガイドは英語があったけれど、私はそれを知らなかったので借りなかった。資料館(牢獄)は狭いので、リュックサックはコインロッカーに預けるよう言われる。写真を撮っていいか聞くと、フラッシュをたかなければOKだよ、とのこと。結果、写真は一枚も撮らなかったけれど。

ちなみに、この資料館は、以下リンクからツアー可能です。

NS-Dokumentationszentrum Köln - 360° Rundgang

矢印ボタンを押していけば、様子がすべて見られます。英語で解説もあり、かなり行った気になれます。

 

*これから下の写真は全て、上記リンク先からのスクリーンショットです。

 

スタートは地下だからね、と言われて地下へ進む・・・けれど・・・地下への階段がとても狭い。そして、雰囲気がめちゃくちゃ悪い。本当にこっち?と思って進むと、いきなり格子。そう、ここは牢獄だったんだ。

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地下は、一気に気温が下がった気がした。天井が低く、圧迫感がある。階段を降りて右側の様子。

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廊下の左側には、独房が3つ並んでいる。一番手前の独房の様子が以下。

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この房の広さは2.4平方メートルで、もともと二人ほどを収監する予定だったそう。けれど、戦争も終わりの頃に近づくと、その8~10倍もの人数が詰め込まれらたらしい。壁には当時収監されていた人たちが書いた無数の落書きが残っている。パネルには、落書きの解説、書いた人の名前、国籍が英語とドイツ語で展示されている。また、上の写真の正面の壁には細長いドアがあって、中がのぞけるようになっている。中は暗く、狭く細長くて、拷問に使われていたらしい。怖くなって、すぐに首をひっこめた。

他の房には、当時収監されて、生き残った人たちの体験談が展示されていた。どのような状況で収監されたのか、何を食べていたのか、何がおこなわれていたのか。

壁には「今日で収監されて◯◯日目」といった落書きや、日付を数えた跡が残っていた。その他にも「SSに負けるな」とか「頭は高く掲げろ、決して屈するな」と言った落書きも残っていた。こんな劣悪な環境で収監され、虐待されて、そんな状況でも前向きなことを言える人がいたんだ、と思うと泣きそうになった。

落書きを残した人は、ロシア人、フランス人、ポーランド人、ウクライナ人などなど。フランスとロシアが多かった印象。

地下1階には中庭もあった。中庭に続く廊下の壁には、矢印とともに大きな文字で「400名以上が処刑された中庭」と書いてあった。中庭はそんなに広くない。壁は、一面鏡張りになっていた。端っこには、鏡に向かって跪いてお祈りしているおじいちゃんがいた。400人、という数字が頭に浮かんで、すぐに建物に戻った。

戦争が終わる間際は、特に沢山の人が処刑されたらしい。主に絞首刑だったそうだ。

地下は2階まであり、さらに雰囲気が悪い。階段を降りると、うわあ、進みたくない・・・というような雰囲気。

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私がこの階に降りた時点で、他の見学者は1家族(お父さん、小学生くらいの息子、中学生くらいの娘)しかいなかった。正直、彼らがいなかったらこの扉の先に進んでいなかったと思う。地下2階は、主に拷問に使われたらしい。理由は、叫び声が地上に届かないから。このフロアは湿気があって、かび臭く、特に雰囲気が悪かった。

先ほどの家族は展示パネル前に並んで内容を読んでいて、中学生くらいの娘が、ドイツ語で早口で音読していた。そのうち、お父さんと息子が他の場所を見始めた。気付かずにパネルを読み続ける娘。その後ろで英語の内容を読む私。ふと、娘が後ろを向いた。お父さん達がいた方を向くと誰もおらず、その代わりに私がいたので、驚いた娘はびっくりしてキャッと叫んだ。私も驚いたのだけど、娘はすぐに、ああ、なんだ、と言った表情に戻って笑った。ここ怖いよねえ、と英語で話しかけると、うん、超怖いと言っていた。

ここの気温の低さ、湿っぽさ、カビ臭さ、薄暗い感じ、天井の低さで息苦しくなった。それに加えてここで行われていたことや、実際に亡くなった人の数を想像すると、ぐったりして、早々に建物を後にした。外にでると、またさらに、この建物があまりにも普通の建物であることに衝撃を受けた。

 

ケルン市ナチス記録センターに行った後は、疲れていたので、大聖堂に戻って中に座ってボーっとしていた。しばらくして夕飯を駅で食べて、帰りのバスに乗った。

 

あの資料館からも伝わったとおり、ドイツ人は、ナチスの蛮行、つまり自分たちの歴史を全否定している。正直、私にはその感覚がよくわからない。というか、考えたこともなかった。第二次世界大戦では、日本もアジア諸国を侵略したのに。

帰宅してネットサーフィンしていると、こんな記事を発見した。

ドイツが許されて日本が許されない本当の理由/石田勇治氏(東京大学大学院教授) (ビデオニュース・ドットコム) - Yahoo!ニュース

恥ずかしながらドイツの歴史を全然知らなかったので、上記の記事を読んだ後、戦後ドイツの歴史について調べた。そうすると下のようなwikipediaを発見。

ドイツの歴史認識 - Wikipedia

うーん、保守の人が書いたっぽい感もある・・・

 

してしまったことを過不足なく認めること。それに対し、誠実に対応すること。それができる国はかっこいいと思う。そしてそんな国の国民だったら、例えその国が過去に過ちを犯していようと、先祖の罪を謙虚に反省する子孫として、私は少し誇らしく思えると思う。

そしてそんな国など存在しないことはわかっているので、もう国とか何とかいうより、一個人としてそういう意識を忘れずにいようと思った。